がんと向き合う気持ち

2014年04月22日(最終更新 2014年04月22日 02時10分)
 がんと向き合う気持ち、わが子や夫への思いをつづったエッセー「生きてる…」を本紙に
連載(2009〜10年)した福岡県久留米市の西冨貴子 さんが20日亡くなった。
乳がんと分かって8年10カ月。46歳だった。
脳転移のため2月に2度目の放射線治療、ガンマナイフを受け、治験に懸けて入院。
だが、脊髄転移も見つかり、自宅に戻った。 10日前までブログ「明日に架ける橋」を更新した。
家族と別れたくない一心で挑んできた過酷な 治療。やり遂げたいけれど、肝機能が低下して薬の
投与自体が命を脅かしかねない。「きちんと見分ける目が必要だ」。
自ら考えて決断する冷静な視点を貫い た。医師や看護師、周囲へのお礼の言葉も忘れなかった。
 耐えきれないほどつらかっただろうに、文章も会話も「今ここを生きている」喜びと感謝にあふれていた。
高校生から小学生までの3人のいとし子に、生きる支えをしっかりと残した。 
(田川大介)

=2014/04/22付 西日本新聞朝刊=

2014-05-13に書いた読者投稿の前に書かれていた記事です。
新聞コラムの担当者だった田川さんが書いてくれた記事
ありがとうございます。

記事に書かれている脊髄転移が見つかったときはあわてました。
首が痛いという本人から訴えから始まりあわてて検査
検査後、担当医のN医師と本人に伝えるぺきか迷うような致命的な転移・・
このまま大きくなれば確実に呼吸困難か全身麻痺のおそれ
肝臓が先か脊髄が先かの行き詰まりの状態
急速に成長した転移でしたので様子を見るとか出来ない
その日のうちに呼吸困難や麻痺のことはふせて本人に話して
たしか二日後かな、スケジュールを調整して頂いて放射線治療の開始
対応の早さはがんセンターはピカイチでした。
他所ではこうもいかなかったと思います。
N先生ありがとうございました。
精髄転移が落ち着かなかったら退院すら出来なかった。
適切な判断と処置のおかげです。
でも、治験を続ける体力は彼女には残っていませんでした・・
そして、退院、自宅療養、最後の家族との団らん
たった二十日間の自宅療養でしたが家族全員幸せでした。
数年分の幸せな時間を二十日間で味わったかもしれません。
私の手料理を美味しいと毎日食べてくれて子供たちと沢山会話・・

スイマセン、続きはまた書きます。


上記画像は2010年10月頃です。