忘れてはならない日


1995, 1.17
神戸の日…

朝、横浜の友人とメールをかわす。
彼女は実家が姫路。
震災にあった方の中には、公園で一緒に遊んでた家族や、商店街のおばあちゃんもいたという。


昨夜から、ずっと考えていた。
震災にあった方たち全てが、私たちと同じ日常があったのだ。
普通に晩ご飯を食べ、家族との団欒があり、しあわせな眠りにつく。
そして朝……。
それはいつも訪れる朝ではなかった。
誰が想像しただろうか。


命ってなんだろう…。
生きてるってどういうことだろうか…。


彼女は言ってた。
「生きてるって時々、辛い事のように思うけど、(仕事や試験や病気や人間関係や…)それ自体が生きてる実感なんだと思います」


その通りだ。
私は病気になった時、「何で?どうして私ががんなんかにならなきゃいけないの?」って思った。
キツイ治療の時も…。
でも、私は生きてるんだ。
それでも今、私はこうして生きてるんだ。
生きたくて、生きたくてたまらなかった人がいる。
それでも生きることが出来なかった人たちがいる。
今、生きてる私がどうのこうの言っていては、その人たちに何と言われるだろうか。



どんなに辛くても、生きなければならない。
命ある限り…。
生き続けなければ…。




あの日から16年という時が経った。



どれだけ年月が流れても
決して忘れてはならないことがある。
その人が生きていたということ。
そして、今でも貴方のそばで生きているということ。
ずっとずっと生き続けていて貴方を見守っているということ。
それは永遠だということ…。