次男のこと 5


久々に良いお天気だったので、また洗濯しまくった。
でも、夕方からまた一段と寒くなって来てる。また寒波が来てるようだ。
今日は午後から、娘の授業参観だった。
次男は、ひばり園へ。一昨日の夜、次男が就学前通っていたひばり園の担任の溝尻先生とメールをしていて、たまたま次男の学校が学部閉鎖になったことを告げると、
「あらっ、じゃあゆうくん、ひばりに来ませんか?」と言ってくださった。
それで、ハッ!と思い出した。
金曜日は娘の参観日だった!
「わー!なんてグッドタイミング、じゃあ金曜日だけ登園させて下さい。」
ほんとに、メールいただいてなければ、大変なことになるとこでした。さすがに授業参観に次男は連れて行けませんから。


ひばり園は、横浜から越して来て、二年間通った障がいをもつ子の通園施設です。
次男は、ここで初めて社会への一歩を踏み出しました。
横リハの小児神経科からの紹介状を持ち、幼児研究所に行き、いくつかの通園施設からひばり園を選びました。
しかし、ここでもまた宇宙な出会いが待っていたのです。
まだ横浜にいた頃、引っ越す予定はなかったのに、なんとなく、実家のあるこちらの施設も調べていて、その時、私は自らひばり園に電話し、主任の先生と話していたのです。
それから何年も経っていたのですが、実際に見学に行った時のこと、あの時電話でお話した先生とお会い出来、
「以前お電話でお話しましたよね、やっとお会い出来ましたね。」と…。
やっぱり「ご縁」だ。ちゃんと出会えるようになってたんだ。と思いました。
でも、生まれて病院に入院する以外は、私と離れたことは無かったので、ほんとに一人で登園出来るのか、初めは不安でいっぱいでした。
しかし、帰って来た次男は溢れんばかりの笑顔!
私の不安は無意味だったことに気付かされたのでした。
そればかりか、登園2日目には、一人で給食を食べることが出来るようになっていました。それまでは、人の手をとり、食べさせてくれとせがむ(クレーン現象)ばかりだったのに!
どうやら、先生が目の前で食べる姿を見せてくれたり、自分でもお友達が食べるのを見たりして、自分もやってみよう!と思ったみたい。
不思議だよな…。
家族が食べる姿も見てたし、摂食指導にもさんざん通っていたのに…。
子供は集団の中で学ぶと言いますが、障がいを持つ子も例外ではありません。
寧ろ、ハンデがあるからこそいろんな体験をさせるべきだと私のほうが教えられました。
そして初め入学した兄や妹の通う小学校でも、クラスの友達や六年生のお姉さん達がいつも支えてくれていました。
三年生から、今の学校に転校しましたが、次男の周りにはいつも友達が寄り添ってくれています。
友達の中で、自分でもいろんなことにチャレンジし、ほんの少しずつだけど、みんなに近づけることが嬉しいみたい。
そして、ひばり園は今でも夏休みや、下校が早い時に登園させていただいてます。
きょうだいの行事などの時、ほんとうに助かります。
ハンデのある子を家庭だけで育てるのは無理です。
父母が病気の時は?
きょうだいの行事がある時は?
冠婚葬祭の時は?
そんな時利用出来る施設やデイサービスなどをきちんと確保しておくのも大切な親の務めなのです。
特に冠婚葬祭や、公式な場。
訳の分からない初めての場所を連れ回されるよりも、自分が安心して居られる場所で楽しく過ごせる方が本人にとってはずっと幸せで、落ち着くのです。
その事を理解するのに私は10年の月日を必要としました。
気付くきっかけとなったのがひばり園と四年生の時の担任の先生です。
それまで私は、例えハンデがあっても、家族が力を合わせて支えて行くべきだと思っていました。
勿論、それは今でも変わりません。
でも、それだけではいけないのです。
ひばり園での次男の笑顔がそれを教えているかのようでした。


「自分以外の人に任せるのは罪の意識を感じることではない」


親は子供よりも早く逝くのです。
少しずつでも自立の道に近づけてあげること…。
いろんな経験をさせること。
何より大切なことなのかも知れません。






ひばり園でのちぐ。楽しそう…




私の病気が発覚し、手術する時、
先生方からいただいた手作りのフォトフレームと寄せ書き




先生と私の連絡帳は二年間で8冊に。
園での次男の事を写真付きで毎日報告してくれました。まるで成長の記録を綴ったアルバムのよう…。
私の大切な宝物の一つです。


UFOマークは園での次男のマーク。椅子や持ち物入れや、様々な所に貼ってあり、
「僕のもの」を把握して行きました。