忘れることが出来ない記憶

最近の次男。
とりわけ夕食の時間。
配膳をすませ、さぁ、いただきます。という時から落ち着きをなくす。いったん席に着くのだけど、またシュッと立ち上がり、玄関まで猛ダッシュ。で、ドアというドア、電気という電気のスイッチを消し、戻って来る。そして椅子に座ったかと思いきや、またシュッと立ち、今度は椅子の横に直立してあお向きに寝る。時には台所まで行ってそれをする。もう慣れてしまったが、初めて見る人などは何事か?とギョッとするのではなかろうか。
問題なのは、食べてる途中、いきなりスプーンをバンッッ!とテーブルに打ちつける。いきなりのことなので、みんな飛び上がるほどビックリする。当然スプーンについてる食べものやなんかが一気に飛び散る。ほぅら、夫の怒りが爆発!「何なんだよ、お前は!もう食うな!」となる。本人は激泣。私や長男は夫を止める。食卓に漂う険悪な空気…。「なんでこの家の食事はこんなにイラつくんだよ!」と夫。その気持ちもわからないではない。私だって(あーもぅ、食事の時くらいゆっくり食べたい…)と思う時あるもの。でも、私たちがわかろうとしなくて、誰がわかるというの?
人の記憶というものは、時とともに少しずつ薄らいで来たりするものだ。しかし、自閉症の人はいろんなことをいつまでも忘れることが出来ないという。辛い恐怖の記憶がよみがえってパニック状態に陥るPTSDのように。ほんの些細なきっかけで遠い過去のことが急によみがえる…。
なんてことしてくれたのよ…。
自分に余裕がない時はつい感情的に叱る時がある。そんなのお互いに苦しすぎる。



ちぐを苦しめたくない。



私たちまわりにいる者の怒り狂った表情を、この子はいつまでも忘れられないのか…。そしてそれを思い出し、悲しくてパニックに陥るのか…。


ちぐの記憶を幸せな、楽しい体験でいっぱいに満たしてあげたいと思う。


子育てにも言えることだろうけれど。
育ててあげている感覚?自分が少しでも犠牲になっているかのような感情でいると、子どもはすぐにその心を察知し、絶対にうまくいかない。
子どもは大人の心を見抜く天才なのだ。
だから私は昨日、何だかとっても嬉しかった。
何故って、凧あげの時、先生も夫も自らがとっても楽しそうだったから。
笑っていたから。
これって大事!ちぐでなくても、子どもはお父さん、お母さん、自分を取りまくまわりの人たちの笑顔がいちばん好きなんだもの。
笑顔に包まれているのがいちばん幸せなんだと思う。どんなオモチャやゲームなんかを買い与えられるよりも。
物より思い出…。
きっと昨日のちぐは、みんなの笑顔を心にしっかりと焼き付けたはず。
そしてちぐが凧糸を手放した時、夫が言ったひと言。
「こいつ、目論んでたね。(意図的に)放そうとして放したんだよ」
ふぅん…。そこまで解るんならいちいち怒らなきゃいいのに。


何も、ちぐだからというわけではない。
人って…
解らせようと、変えようとしてもダメなんだ…。
自分が相手を解ろうと、理解しようと思わなければ。
まず、自分が変わらなければ。
ほんとうに…
親も、子どもも、一歩ずつ…なんですね。


時に私はいつも自分を省みる。
病気や治療やいろんなことを考えて…
心も体もしんどい時…
私は笑顔でいれたかな…?
私が辛い顔してたら、みんなが悲しくなるょ。


「笑顔のお母さん」


子どもたちの心に焼きつけたい…と思う。




下校前、先生とシャボン玉
シャボン玉は大好き。キラキラするしね!
これはでっかいのができるんだょ
ご機嫌でふーっとしてましたが、「さぁ、帰ろうか」
と察知してるので、自分で持つやいなやジャーッとこぼしてここでも「完了」しました


去年の秋
近くの公園にて…
シーソー乗ってる間、ずっと空を見上げておたけびで大興奮!


漕いで漕いで…!
楽し〜い!!!


遠くには黄金色に輝く銀杏の木が…