美味しく食べられるということは


六年前の入院にあたり、考えなければならない事が山積みだった。
それは、子供達のこと。
特に、次男と、二歳になったばかりの娘をどうするか?
入院までの様々な検査と併用して、児童相談所と保育園探しに駆け回った。次男は、医療的ケアが出来る施設を訪ね、入所を勧められたがやはりそれは出来なかった。
その時の次男はまだ五歳。
施設内の見学をしてる時、パニックになってしまった。
ここで、家族と離れて、独りぼっちでどうやって過ごすのか…考えただけで涙が溢れて…それに、入所させるのなら、通園していたひばり園もやめなければならない。
次男が初めて社会への一歩を踏み出したところ、大好きなひばり園を卒園させてあげたかった。
結局そのまま、昼間はひばり、夜は普通に家で過ごすことに。
娘は保育園へ…となったのだけどこれまた最初は大変だった。
泣いて泣いて…(T . T)
あの頃が一番辛かったかも…
自分の事を考える余裕は全くなかった。


で、手術の後、一週間もしないうちに外泊。(ほ〜ら、でました、私のしそうなことやろ)夫や子供達と公園で遊び(今思えば何と無謀な…術後の激痛の中、ようやったなぁと思うけども)。
それから、やがて始まる抗がん剤投与による脱毛に備え、髪を切りに行った。
入院中、何度か外泊したが、病院に戻る時、また子供達と離ればなれになる時はみんなで号泣…もう最悪だった。
私の入院中は子供達も、夫も、ホントに頑張ってくれたと思う。


病院では違う病室の方も、みんなで和気あいあいとした雰囲気だった。みなさんがんなのだけど、底抜けに明るかった。私をふくめ、四人、仲良しだったのだけど、でも今では二人になってしまった。
入院中、抗がん剤投与の為のポートを右鎖骨下に埋め込む手術を受け、いよいよ一回目の投与が始まった。


実のところ、私は手術より抗がん剤のほうが怖かった。
体の中に毒を入れるような感覚が離れなかったのだ。
吐きまくって、痩せこけて、髪は抜けて、廃人のようになるんじゃなかろうか……
またいつもの妄想だ。で、
「いつから始めましょうか?早く始めましょう」という主治医に言ったひとこと
「あの〜、大安の日から始めます」
もうっ!わけわかんない(汗)。
どんなに動揺していたかがわかるというものだ。
あの「赤」投与の前には吐き気止めの点滴、カプセルと、準備は万端。
にもかかわらず、ほどなくして、何とも言いようのないどよ〜〜〜んとした気分になって来る。
いっそのこと、吐いてしまえばいいのかもしれないが、吐いてスッキリする類いのものではない。それまで経験したことのない、独特の気持ち悪さなのだ。
食事もほとんど摂れなくなってしまい…主治医から、
「麺類に変更もできますょ。麺なら大丈夫かも」と言われ、それじゃあ…
と期待して変更したのだけど、その日の夕食の献立、「にゅうめん」のみ。
しかも、麺と汁だけ。ちょっとぉっっっ、せめて葱くらい入れてょ〜〜〜! (泣)これは他のみなさんにも不評でした。
即行翌日から普通食に戻しましたけど。
しかし、あの時から、痛感しました。
美味しくご飯が食べられるのって何て幸せなんだろうって。
人の願いはみんな「幸せになりたい」なんだろうけど。
そのためにみんな頑張って生きてるんだろうけれど…
でも、美味しく食べることが出来て、毎日を普通に過ごせて…
思わず叫びたかった。
「みんなめちゃめちゃ幸せなんぢゃん!」







きりりと冷えたスイカ
その季節の旬のものほど美味しいものはありません
この後は、スイカの皮の一夜漬けを作ります
夫からは「カブトムシか?!」って言われますけど(笑)
いやいや。
私にしてみれば祖母の代から見様見真似でやっていることなので。
有難くまるごといただきます