毒ガス投与もここまで来ると…

化学療法(抗がん剤)と聞くと、健康な方はどんな風に感じるのだろうか?
脱毛、痩せ細った体、独特な顔色、激しい嘔吐…。と言ったところか…。
実のところ、私は自分ががんだと分かった時、手術はさほど怖くなかった。これは人それぞれな思いなので、あくまで私の気持ちだということを前もって申し上げておきたいのですが…。
胸を失くす、ということにあまり未練は無かった。もともと巨乳な女性を羨ましいとか思った事すらなかった。むしろ、私の好きなファッションに、巨乳はタブーですらあったのだ。
なので、再建なんてとんでも無い。また痛い思いをした挙句、飛んで行くお金…。そんな時間はもったいないし、そのお金は治療費にまわしたい。と思っていた。自分という人間的価値観が、胸の有る無しで決まるなんて、さらさら思ってなかったし。
幸い、夫も、「どうなろうがオマエはオマエだろ、命のほうが大事」ってタイプ。
川村カオリさんが、著書【へルタースケルター】で、術後の胸の写真を載せてたの見て、(なんてカッコイイんだろ)と思った。
なので、手術はあっけなくやり遂げたのだけど、その後に待っていたのは抗がん剤…。
主治医に、「化学療法をします。CEFを6クール、もしくはCEF4クールの後タキソテール4クール、そのどちらかをと思っていますが」
と言われ、慄いた。手術より何より抗がん剤が怖かった。何故なら、抗がん剤のルーツ、それはそもそも第一次世界大戦中にドイツ軍が毒ガス(マスタードガス)の研究からスタートしたものなのだ。とくにCEFの“C”であるシクロフォスファミドは有名な話。


「絶対しなくてはいけませんか?」
その時はそんな質問をしてしまったが、後々この病気のことを学ぶにつれ、リンパ節転移9個という結果で、やらなくていい訳がないということが理解出来た。
当時、同じ病院の外科に、友人の医師がいて、術後化学療法の必要性を病室まで来てくれて、同室の同病仲間と一緒に講義!を聴いたものだ。
「がん細胞は健康な人たちも毎日生まれてるとょ。でも、それを攻撃するシステムがちゃんと働いてる。あなたたちは「がんになってしまった!」って思ってるやろ?でも、ぜんぜん特別なことじゃない。僕だって誰だって、いつがんになるやも知れないんだょ。要はね、がん細胞があっても、それが「がん」にならなきゃいいのょ。今、手術して、がんの塊は取った。でも、目に見えないがん細胞が血液やリンパ液に乗って全身を巡ってるかも知れない。それが他臓器に転移しないように、抗がん剤でやっつけるんだょ」
う〜〜〜ん……。
知りたがり屋の私としては、自分がまさにこれから体験する治療のことを知ることが出来、もう目を輝かせて聴いていたものだ。
でもあれは良かった。
あの時の【講義】はその後の、そして今の、闘病の一本の柱になっている。患者が納得のいくまで、夜遅くまでも、
とにかく「話す」。
ドクターの鏡です。



なので、きちんと納得して始めた抗がん剤ではありましたが………。
やっぱりそのキツさたるや相当なものだった。
特に最初に投与したCEFの色たるや真っ赤……。まさにドクロマークのついた毒そのものだった。
そうだな……。
きつさの度合いからすると、CEF→タキソテール→タキソール→ナベルビン→ゼローダといったところか…。
ん?とすると、今のゼローダはまだ一番楽ってこと?これで?
はぁぁぁ…。私って一体どれだけの苦しみに耐えて来てるんやろ…。
よう耐えて来れたな…。
いいや、まだまだ耐えてやるぜィ!

しかしながら……。
その一番楽?なゼローダも、3クール目となると…やっぱりしんどい…。
指先の亀裂。そして今また口内炎最悪……(´Д` )
この抗がん剤の副作用による口内炎って、ガジッっと噛んだ後に出来る口内炎と訳が違うんだょね…。こう……、粘膜の奥から湧き出て来る感じ……。
今、下唇の裏、舌先に二個。この舌にできる口内炎の痛さたるや半端ない。あまりの痛さでろれつが回らない。
あ〜〜〜、クマザサ、クマザサエキスぢゃ!……(>_<)





友人が見つけて来てくれたスポンジ付きゴム手袋!
風呂掃除なんかにもってこいです!
ホントにありがとう!!!(涙)



そして今日の朝日新聞朝刊一頁目…
ん???なんやコレ?どっかで見たよな………と思いきや、耶馬溪行く時の道中の案山子祭りの風景ぢゃ〜〜〜ん\(^o^)/
改めて懐かしい光景です………笑






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