「ピンチはチャンス」〜がん患者という意識は無いほうが良い〜

さて。
わたくし、がんの告知を受け、もうすぐ7年を迎えようとしています。
ナント!
人生の約6ぶんの1をがんと共に生きてることになる。
末っ子の娘が二歳になったばかりだったから、とくに娘と過ごした想い出はほとんど闘病と重なることになる。
でも、今振り返ればだけど、ぜ〜んぜん。普通の、健康なお母さんと何ら変わりない日々を過ごして来た、と思う。
と言っても、週一、いや、それ以上は通院してたし、治療日と言おうものなら一日がかりで、段取り尽くし。いろんな方たちの支え無くしては到底出来なかったことだ。
加えて並々ならぬ副作用との闘い。
正直、もう何にもしたくない!ゆっくり寝ときたい!
と思った時だってある。
でも、それはほとんどなかったな。と言うより、出来なかった。
うちの事情は、私が動かなければ、成り立たないのだ。
なので、いちばん苦しかったCEFの時も、寝込んだ事は無い。
それどころか、長男の親子レク、ミニ運動会で、障害物競走みたいのをやらされ、ニットキャップが脱げないように必死だった記憶が…(~_~;)

娘の園の運動会でも、親子競技に参加し、これまた障害物競走…チビ車に乗った娘を押して走ったり、きわめつけは娘をおぶって走り、そのままフィニッシュ!でゴール!
その時の夫のひとこと、
「お前、気をつけろよ。りーちゃんがカツラを引っぱりでもしたらどーすんだよ。雄から投げ飛ばされたんだろーが。運動会で、しかも競技に出ててそんなことになろうものならシャレになんねーぞ」


ホントやん…((((;゚Д゚)))))))
全く自覚が足らない私、、、
まぁ、何も無かったから良かったようなものの。
次からは夫に出てもらおう、、、
とか思いながら、翌年にはツンツンに短いながらも自毛デビューを果たしてたので心配御無用だったけど。




とにかく、何につけ、私には所謂、



『がん患者』



という意識がまるで無い。
抗がん剤にしても、やる前は体に《毒》を入れる気がして慄いていたが。。。
でも、肯定してる訳ではないけど、否定もしなかった。
ただ、やらなければならないことならやんなくちゃな、、、って感じ。
でも、結果的には良かった。
画像上の影がものの見事に消えて行くさまを目の当たりにすると、


抗がん剤も恐れてばかりじゃ駄目なんやな。。。って思った。
あのまま抗がん剤を拒否していたら、今の私は無かったかも知れない。
代替療法や、食事療法も考えた。
が、エビデンスが確定されてないものだけを試みる勇気は私には無かった。
抗がん剤に欠かせないもの。それは《タイミング》だと思う。
投与出来る体力があるうちに叩いておく。
末期になれば出来る体力も無くなるだろうし、最期の最期まで副作用で苦しむなんてごめんだ。
タイミング逃しての抗がん剤は有り得ない。
もちろん、食事や生活習慣にも気をつけるし(ホントか?早寝しろ!って声が聴こえるようですが…)、漢方も取り入れている。
自分が、『これ、いいかも!!!』と感じることは何だってやる。
でも、ホントはこれ、いちばん大切な事なのかも!?と思う。
自分の体のことは自分にしかわからないはず。
だから私は今まで、レジメンも全て主治医と話し合い、自分で納得して選択して来た。
今投与中のゼローダ&タイケルブは実は主治医の推奨では無かった。
主治医からはカンプト&TS1をすすめられた。
でも、何故か、あの時、ビビッ!!!と来たのだ。まさに天からの声かのように。


「ゼローダ&タイケルブにしなさい」



って。。。
私はこういう、う〜ん、、、何と言えばいいのか、、、《閃き》のようなものを実はいちばん重視している。
医療者の方からはお叱りの言葉が飛んで来そうですが^^;
でも、私の体なんやもん。
私にしかわからんよね。
これから先も、この《閃き》貫くぞ!



それからあとひとつ。
音楽療法士の篠崎智恵子先生が仰ったひとこと。
これまた白羽の矢の如く突き刺さりました。



「逆に、開き直ることも得策かも!
ピンチ ピンチ チャンス チャンス チャンス
ラン ラン ラン ♪♪♪(雨あめ降れふれ♪のメロディー)
ピンチな時こそチャンスですよ!」



ビンゴ!!!!!コレだ!!!

と。
実際、コレしか無いと思います。


発想の転換


がん患者にはいちばん必要だと思います。
心が苦しくなった時、口ずさんでみてはどうでしょう。
きっと何かが見えてくるはず。









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