「母」の存在

二月に倒れ、入院した母。
今は、救急車で運ばれた病院とは違う病院に転院しました。
しかし、母自身は病気のことはいまいち理解してないようで、自分は何ともない、家に帰りたいという思いが強く、面会に行っても「一緒に連れて帰って」としか言いません。
もちろん、私だってそうしたい。でも今の母の状態での一人暮らしは無理。
母にそのことを理解させるのは難しく、会うのすら辛い。いや、いちばん辛いのは母だ。それもわかっている。
母の状態、そして、母一人子一人のうちでは母を看るのは私しかいない。その私も転移性乳がんと闘い、この先どうなっていくのか分からない。そういったことを踏まえての対策を考えて行かねばならない。母の意思をとるか、母の身の安全をとるか。
私は母が安全に過ごせることを選んだ。
でもツライ………ほんとうにツライ………
以前、母が手料理を持って来てくれる時に添えられていた走り書きの手紙を読むと涙が後から後から流れて来る。



病院との約束で、毎日11時に母が電話出来るようになっている。
「帰りたい、迎えに来て」を繰り返す母だったが
「お母さん、私、具合悪くて…ごめんね、会いに行けなくて…治ったら行くけんね」と言うと、薬の副作用で少し呂律が回らなくなってるのだけど、それでも
「お母さんがすぐ手伝いに来てやるけん、今日行くけんね、、、」と。。。
自分が病んでも、娘の体をおもう母。母の愛………



今回の体調崩しで、気分悪くて倒れるように横になってる時、私、心の中で、「お母さん…!」って叫んでた。
この歳になっても、いや、いくつになっても、子どもにとって、母は母なんだ。。。

自分が病んで、母が病んで、改めて母の存在の大きさを想う。
誰の身にも老いは避けることは出来ず、少しずつ歩み寄って来る。
母ばかりでは無い。受け入れなければならないのは私も同じ。
そしてようやく気付いた。
病気の家族を持つ気持ちが。
まわりが愛する人の病気を受け入れる辛さが。



母もどんなに辛かったことか…
そしてそれをわかってあげられるのは私しかいない。





母ともよく来た公園。
咲く花に元気な時の母を想う…








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