健全に絶望して、次!


体調不良は続いております。
でも年末のような

『どうしよう…』

という言わば恐怖心のようなものはありません。
とは言え、まだまだ生命の在り方を悟ったという訳ではないので(模索中ではありますが)、そういった思いもこれから出て来るのかも知れないけど。
ただ単に、一度経験済みの事だから慣れて来た、という事なのかも?
何もこんな事に慣れなくても…と思うんですけどね。


死ぬことに対しての恐怖心が全く無いのか?
と言えば、そんな事はある訳が無い。
でも、よくよく考えてみれば、いや、別によくよくとまで考えなくても、たとえ今健康であったとしても生きている以上、いつかは死が訪れるということは当たり前の事であって、その事自体を恐れるということはおこがましい事なのかも知れない。
思うに恐れという思いは死そのものではなく、大切な人たちとの別れを恐れているという事に他ならないのだ、と思う。
告知を受けた瞬間から押し寄せて来たおもいはその事だけだった。
自分の身体がどうなっていくのか?という事よりも何よりも。
そしてそのおもいはこの8年という時の中で幾度となく現れた。
告知を受けた瞬間から始まり、家事をしている時、お風呂に入っている時、車の運転をしている時、子供達の寝顔を見た時、眠りにつく時、、、
来る日も来る日も休む間もなく。
その都度いったい何度号泣させられたことか。
全く、なんて厄介な奴!
いや、厄介どころの騒ぎではなかった。
そのおもいは自分ががんじがらめになるばかりか、そこからは何ひとつ得る事すら無かった。


人間ってしばしば幼い頃から勉強でも仕事でも誰よりも上にたつってのを求めがちだけど、なんと愚かな…
いちばん難しいのは自分自身の心とどう向き合うか、という事だったのですね。




『I have a cancer』



再発したばかりの頃に読んだ【死をおそれないで生きる・ヴォーリス記念病院ホスピス長、細井順 著】の一説を今また反芻している。




がんであっても、例え末期であろうが、「私」とがんは別物であり、あくまでも身体の一部にすぎず、
私の全てががんである訳ではない。



どんな状況になろうとも、このことだけは忘れないでいようと思う。













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