時を紡いで……二つの御神籤

娘の七五三の御参りに行って来ました。
三歳の時にもお祝いしたのですが、どうしても七歳でも御参りしたかったのです。
ヘア&メイクは私が、着付けは、娘の仲良しのお友達のお母さんがしてくださいました。
娘が着てる着物。レトロでしょう?!
実は私が七五三で着た着物なのです。
この着物は、反物を買い、私の祖母が、手縫いで縫ってくれました。
祖母と、母と、三人で撮った写真は、今も実家の古いアルバムの中に…
写真を撮ったのは、父でした。
神社の境内には、今日と同じような日差しがさしていました。
暖かく、やわらかな日差しです。
ほんとに、鮮明に憶えています。
祖母も、父も、天国にいますけれど。
「りーちゃん、この着物は、ママがりーちゃんと同い年の時に着た着物なんだょ。おばあちゃんが、大切にとっててくれて、よかったね。りーちゃんがお母さんになって、もし女の子だったら、またこの着物着せてね。ママと、りーちゃんと、りーちゃんの子供も着れたら、すごいことだと思わない?!」
「うん!絶対そうする!」と娘。
御参りをして、たくさん写真を撮った後は、またどんぐり拾いがはじまりました。
そしてそして…!
目を見張ることが起きました。娘が御神籤をひいたのですが、
「ママ、おみくじ、バッグの中にも入ってたょ」
私が同じ場所でひいた御神籤が、バッグの中にきちんと折りたたんだまま、入っていたのです。35年もの時を……。
そして、どちらも大吉でした。
書かれてある「神の教」を読んだ瞬間、涙が溢れました。
そこには、こう記してありました。
私の御神籤…「過ぎたくり言、とり越し苦労、神の授けの身をやぶる とり返しのつかぬ過去の事を、くり返して思いなやんだり、どうにもならぬ将来の事を案じ煩らう唯心をいため身を害なうだけで、何のやくにも立たぬ愚かな事である。今日は唯今日の事を、面白く楽しく、神様を念じつつ、正しい心でやって行く、禍も転じて幸となる。」
娘の御神籤…「今日のこの日は生日の足日、神の御かげの満ち足る日。
元気一杯つとめましょう。
今日という日は再び来ない。
神の恵みの御光りの足り充ちて、生き生きと生きて輝く楽しい日柄。暗い思い淋しい思いは、朝の拝信の柏手の音に打ち消して、すがしい気持と朗らかな思いで、楽しく、倖せに過ごして参りましょう。」
このことこそ、今の私が心に刻まねばならないことだと思えたからです。
見えない何かがずっと見守ってくれていて、こうして教えて下さっているのだと…。
私がひいた御神籤と、娘がひいた御神籤。
私たちは、すべて、言い表すことの出来ない、大いなる何かに包まれているのだと感じました。
今日のこの日のことを、娘は忘れないでいてくれるでしょうか…。
私が、これ程鮮明に憶えているのだから、きっと娘も…!
そう信じます。