次男のこと 2

次男が退院するまでの約二ヶ月余り。
私は毎日、一日二回、授乳に通いました。思えば次男出産後は、産後の体を休めるなんて、全くあり得ませんでした。
病院に行く時は、搾乳し、冷凍した母乳を持って行くのです。何回か通ううち、やっと目を開けている次男を見た時、またもや絶句しました。透き通るようなブルーの瞳。肌は白く、髪の毛は金髪に近い色でした。
「外人の赤ちゃんみたい…何でだろ…」
この時は不思議な気持ちでした。
でも、何か言いようのない不安があり…。
それはずっと後に「あぁ、あの時の不安はこれだったんだ」と思う時が来るのです。
ストーマになり、便の通りがスムーズになると、お乳もたくさん飲むようになり、体重もどんどん増えて行きました。もともと3800gと大きかったこともあり、一見しただけでは、健康な赤ちゃんと少しも変わらないのでした。
授乳と授乳の間にストーマのケアとパウチ交換のやり方を教わりました。
パウチにはもともと1センチほどの穴があいており、そこから特殊なハサミで、ストーマの形に合わせてカットするのです。穴の周りには、便の漏れを防ぐペーストを塗り、パウチの裏を剥がしてお腹にぴったりと密着させます。(これは、かなり強力な粘着性がある為、肌が荒れないように、剥がした際に塗り薬を塗ったり、細やかなケアが必要でした。)さらに、上から押さえ、医療用テープを2センチ位に切り、少しずつ重なるようにずらしながら、外枠にぐるりと貼って終了です。
書くと簡単そうですが、これはかなりの練習と、経験が必要でした。交換中に寝返りでもされようものなら大変なことになります。パウチには、便の出し口があり、溜まった便はそこから排出します。パウチ全体の交換は、交換のやり方、日常の本人の動きの度合いによってもち具合が変わりました。一番もって4日目が限度でした。交換が上手くいった時は「う〜ん、完璧!!」と妙な達成感…。
この時長男はまだ二歳になったばかりでしたが、パウチ交換では大活躍してくれました。次男が寝返りしないように顔の上でオモチャを振ってくれたり、医療用テープをすぐ使えるように、たくさん切って並べてくれたり。で、私は両手を使うので、足で次男の体を押さえていました。そして、外科主任看護師さんのおっしゃった通り、鼻歌まじりで交換出来るようになったのでした。
暫くはそのようなお世話の日々が続きました。その頃は、もうすっかり、私の中では、パウチ交換は、普通の赤ちゃんのオムツかえと何ら変わらず、ちょっと手間はかかるけど…位の感じでした。
今思えば、この時の苦労なんて、後から次々と訪れることと比べると、何でもない事だったのです。
初めの診断は、ヒルシュスプルング病だけだったのですが、一向に首もすわらず、体もふにゃふにゃなまま。原因を確定する為、東京の国立小児病院(現在、国立成育医療センター)に通いつつ、体幹をしっかりさせる為、新横浜のリハビリテーションセンターに通うようになりました。
そこで出会った小児神経科の先生は、次男の目、髪の色をご覧になり、ヒルシュスプルング病だという事を告げると、次男に触れたり、うつ伏せに寝そべってる後ろから鈴や太鼓を鳴らしたりされるのです。
(何やってるんだろ……。)不思議に思った私はその時、意外な、思いもよらないひと言を聞くことになりました。
「お母さん、ゆうくん、耳が聴こえてませんよ。」