先に死にゆくものとして

内田 美智子先生の講演会に行って来ました。
先生は内田産婦人科医院にて助産師として勤務され、
「生」「性」「いのち」「食」をテーマに全国で講演活動を展開。
「ここ。食卓から始まる生教育」「いのちをいただく」などたくさんの本も書いておられる。
八月に耶馬溪でお会い出来、十月には長男の学校での講演をお聴きしました。
ずっと以前ですが、次男の学校でも保護者学習会にての講演があったのですが、その日はケモ日と重なり、泣く泣く行けず…。
然し何度聴いてもまたもや号泣…。


「性」と「生」と「食」は、つながっている。
と先生は言われる。


お聴きする度、深く、深く考えさせられる先生のお話だが、今回は「生」のこと、が、

ズシンと心に響いた。
「 生」の反対は「死」ではなく、「生まれないこと」。生まれたものにしか「生」も「死」も存在しないと。


先月観た映画「うまれる」のことが蘇りました。
そして、また、次男が生まれた時のことも…。
まるで、フラッシュバックしたかのように、その反面、あれはほんとうに私の身に起こったことなのか、今だ信じられないような思いが押し寄せて来る時がある。
午前3時過ぎに生まれ、その日の夕方、小児救急に搬送されたのだ。産まれたての、それまで10ヶ月の間お腹の中にいたわが子は、生まれてすぐ、たった一人で連れて行かれた。あのあまいあかちゃんの匂いに包まれていた、それはきっと神様が母親だけにお与えくださった夢のような時間はまるで雪崩にのみ込まれるかのように一瞬に消え去り、あとには出産直後に看護師さんが撮ってくださったポラロイドだけがぽつんと残された。そこには産まれたてのわが子を胸に抱き、微笑む私がいた。
二人は引き裂かれたのだ。
あの夜のことは今、思い出しても地獄のよう…。
その夜は生まれた時、すぐに被せてもらった小さなブルーの帽子をずっと握りしめて、一晩中泣いていた。
一体、何がどうしたというのか?
長男の時と同じようにしあわせに満ちた出産をするのがあたりまえのことだったのだ。
なのに、何で???



でも……………。
次男は生きていたんだ。
再び会えた次男は、パウチとたくさんの機械や管につながれていたけれど。
いくつもの障がいがあるけれど。
それでも生きていたんだ。
あの時、ほんとうに私のもとからいなくなっていたら、私はどうなっていたんだろう…




「ひとはそこにいるだけで価値がある」




ほんとうだ………。



私はがん患者だ。
しかし、がんでなくても、親は子どもより早く逝く。
また、そうでなければならない。
ならばどうすればいいのか?先生は、
「子どもが一人でも生きていくことが出来る」ように育てなければならない。と言われる。
私にそれが出来る時間は、健康なお母さんよりは確実に短いのだろう。
それなら私はどうすればいいのか?
どのように生きるべきなのか?



内田先生、ありがとうございます。
またひとつ、気づくことが出来ました。
ありがとうございます……。