母のおもい

今朝は娘の小学校の旗当番でした。
登校時刻の7:30〜8:15まで。
この当番は、例えば仕事があるからとか、そのような理由では、欠席出来ないきまりがあります。その為、何ヶ月も前から予定が組まれており、都合が悪ければ、誰かに代わってもらわねばならない。
今朝は夫も出張で留守。長男と娘はその時刻には登校してしまう。その間、まかり間違っても次男一人には出来ない。で、近くに住む私の母に頼んだ。二月の凍るような早朝にもかかわらず二つ返事で引き受けてくれた母。
今回で、もう何度目だろう…。嫌な顔一つしない母。
でも、私の病気に対しては違う。この話になると
「どうしてあんたがそんな病気になったとかね…。」
このいくら考えても答えなど出るはずもないことを延々と考えている。母の心の中は恐怖に満ちている。
私にもしものことがあったらどうする?!という恐怖に。話してると、必ずマイナスな事しか言わないので、口をきくのも躊躇われる時があった。
やっと私が前向きに生きて行こうと思っても、引き戻されるからだ。
でも………。
一人娘ががんになったのだ。
それこそ「はい、そうですか、わかりました。前向きに生きます。」などと即座に思える親がいるだろうか。
本人の私でさえ、様々な心理状態を経て今に至っている。
私だって娘ががんだなんて言われたら、きっと同じように思うかも知れない。いや、きっと思うだろう。
がん患者を支える家族や親に対してもいろんなケアが必要なのだと思う。
これもがん医療の大切さ、難しさなのではなかろうか。


とにかく。私は言わねばならない。
何百回も。何千回も。
「お母さん、ありがとう…
ごめんね。心配ばかりかけて…。
でも、私はたとえ明日終わるいのちだとしても、今日までは普通に、活き活きと生きたいのです。
何故?
どうして?
は、もう考えたくないのです。私も私自身のその思いに呪縛され、身動き出来ない時がありました。今でもたまに襲って来ます。
でもその思いは、いくら考えたとて、何の解決にもなりませんでした。
そればかりか、それらが頭から離れないうちは、一切の夢も、明日への希望も、一筋の光さえも見えては来ませんでした。


ならばどうすればいいのか?


私はそれらの思いに重い重い蓋をすることにしました。消してしまえれば、それに越した事はないのですが、残念ながらそれは無理でした。
その蓋をまた開ける事になるのか、ずっと閉じたままに出来るのか、は、自分次第です。私は蓋の中身がガタガタガタと押し開けようとするのを必死で開かないように押さえていなければなりません。たまには14ホールDr.Martensで踏みつけます。不謹慎かも知れませんが、それくらいの荒技が必要です。
私はブレないで生きていたいのです。
その為に日々格闘しています。
どうにもならない思いは、自分自身でどうにかしていくしかないのです。
そうして折り合いをつけていく…。
私は五年七ヶ月の間にそれを学びました。
いや、もしかしたら、ゆう(次男)が生まれた時からそれは始まっていたのだと思います。
大丈夫。
心配しないでください。
ね、私、元気でしょう?
毎日笑ってるでしょう?
「たぁががんなんて、もうとう見えんよ。」なんて言ってくれる友達もいるよ。
こうして今日も生きていられることに感謝します。
何にもしてあげれなくてごめんね。
でも、これが貴方の娘です。
女手一つで育ててくれた
お母さんの娘です。」




今日、神社の「娘と私の梅の花」が一つだけ開いていました。
春が訪れました。
今年もまたこの梅の花を見ることが出来たこと…
感謝します……。