叔父の死

最近、あまり体調が良くありません。
瞼が重くて、怠くて…
体調が思わしくないと、心までもどんどん落ち込んで行き、ネガティブな気持ちがわきあがって来る気がします。
やはり心とカラダは比例しているのですね。
自分の身をもってひしひしと感じております。
しんどさや、不安、しいては恐怖が襲いかかると、たいしたことでないことに声を荒げてしまいます。
あー。いかんなぁ……
子どもたちの心には優しい笑顔の母でいたいのに…。


先日…
叔父が天国へ旅立ちました。
がんと判って二ヶ月足らず…。
これは、書くか、書くまいか、随分悩み、今もまだ考えているのですが、やはりきちんと書いておくことにしました。
旅立つ2日前に病院で会った叔父は、私の記憶の中の叔父ではなかった。痛み止めで、意識も朦朧とし、私はもう溢れる涙をこらえることすら出来ず、ただただずっと手を握りしめ、痩せこけた顔を撫でるばかりだった。

叔父は、奇しくも私の再発を診断したのと同じ医師に診てもらい、そしていきなり
「がんです」
と言われたらしい。伯母と従姉妹も一緒だった。
従姉妹は看護師だが、前もって家族に了解を得るでもなく、あれほどいきなりな告知なんて、声もなかったと。そして、「もう手術も抗がん剤も何も出来ない。ま、病院に来るのが遅すぎましたね」「あと二ヶ月です」そんなことをつらつらと言ったらしい。
自分は健康にいいものばかりを食べ、人参はずっと摂っていますが…という叔父に「そんなものは何にもなりませんよ」そう言い放った。
話を聴いた時、私の記憶が蘇った。


シンと静まり返り、緊迫した部屋。
するとその医師。技師さんの横からエコーの画像を傍から立ったまま見入り、
「はい、メタ(転移)確定です!」
いきなり。何の前触れもなく。しかも大声で。
ギョッとして息が詰まりそうだった。
患者は何も分からないバカかと思ってるんですかね?今時、メタがどういう意味なのかなんて、患者なら知ってるだろうくらい考えないのかな?昔とは違う。インターネットや本や…どんな手段でも情報を得ることなど、容易いことだ。
そして途中、部屋を出て行こうとする若い医学生に向かって
「あ〜、ホラ、君。せっかくちょうどいい画像だから見て行きなさい」
で、おもむろにPHSを取り出し、私の主治医にこれまた馬鹿でかい声で
「あ、メタ確定ですから」
結局私には何のひとこともなく。



コレッテアリデスカ?



私は上半身服をまくり上げたまま。
転移もだけど、それより何よりその無神経さに腹が立つやら情けないやら…
患者は虫けらやモノじゃないんですよ。いや、例え虫やモノであったとしても、魂はそこに在るのに…。


あの何とも言えない「敗北感」
デリカシーの問題だ。
あの時感じたあの敗北感は一生消えることはないだろう。
今でも、思い出すとトラウマのように陥ってしまう。

どうにもおさまらず、次のエコーの時、同じ技師の方だったので、思いをぶちまけてしまった。
すると「本当に申し訳ありませんでした。あの時は私もしまった!と思ったんですよ。腕はいい先生なんですけどねぇ…」
いくら腕が良くても、あんな医師は金輪際ごめんだ。と思った。
思い出したくもないことで、もう自分の中で封印してたのだけど、今回叔父まで…
多分他にも同じような思いをした患者がごまんといることだろう。
私はもういい。でも、年老いた叔父…いきなりの死の告知をどう受け止めたのだろうか。従姉妹や母の話だと、「もう絶対病院には行かない」と言ってたらしい。残された二ヶ月余りをいったいどんな思いで生きたのか?

今は、がんの治療と並行し、緩和ケアも受けることが推奨されつつある。
しかし、悲しいかな少なからず、これも現状だ。
緩和ケアに引き渡すとかそういう問題ではない。がんの専門医、がん医療に携わる限り、患者の心に寄り添うくらい、最低限、徹底してほしい。医師としてではなく。
人としてどう在るべきか?を今一度、自分自身に問いただしていただきたい。最先端の医療に追われるばかりではなく。

そうでないと、がん患者はいつまでたってもあの絶望感を味わうことになる。


手を握り、呼びかける私に応えるかのように、うっすらと目を開け、聴きとれない言葉を言おうとした叔父。
何を伝えたかったのだろう…。
あの医師に聴いてみたいものだ。



「自分の家族にも同じように言えますか?」