死を想って生きる


六月に入りました。
大好きです。六月…。自分の生まれた月だからかな…?
曇り空、湿り気のある空気、雨粒光る紫陽花…
やがて訪れる夏に蓄えるかのように、森の木々や草花たちも、たくさんたくさんお水を吸い込むのでしょうね…
然し…
今年も半分が過ぎようとしている。
早いなぁ…
幼い頃は、一日が、一ヶ月が、一年が、とても長く感じられたのに。
そうしてずっとずっと時は続いて行くものだと思ってた。



一昨年の秋。
鳥越俊太郎氏と村山 斉氏(東大数物連携宇宙研究機構長、特任教授・理学博士)のトークライブに行った。
題材「裸の人間・生命」〜進化し過ぎた人間は何処へ向かい、裸の心で何を思うのか?
何を感じ、宇宙を見るのか?〜


そして柳澤 桂子先生の著書「生きて死ぬ智慧」の朗読から始まった。



「お聞きなさい。
私たちは 広大な宇宙のなかに存在します。
宇宙では形という固定したものはありません。
実体がないのです。
宇宙は粒子に満ちています。
粒子は自由に動き回って形を変えてお互いの関係の安定したところで静止します。
お聞きなさい。
形のあるもの、いいかえれば物質的存在を私たちは現象としてとらえているのですが、現象というものは時々刻々変化するものであって、変化しない実体というものはありません。
実体がないからこそ形を作れるのです。
実体がなくて 変化するからこそ物質であることができるのです。
お聞きなさい。
あなたも 宇宙の中で粒子でできています。
宇宙のなかのほかの粒子と一つづきです。
ですから宇宙も「空」です。
あなたという実体はないのです。
あなたと宇宙は一つです。」



もう始まる前のこの時点で胸は高鳴り…



村山氏は私の中の学者のイメージを超越した方で、雄弁で、しかも自身の研究に心底わくわくしておられるように感じた。
宇宙の96%は正体不明だという。
なぜ宇宙は存在するのか?
宇宙の微細構造と超伝導体。
暗黒物質や宇宙のインフレーションなど、宇宙についてこれまでに分かっていること、などを話され、そこに鳥越氏が加わり、内容は「生命と死」のことにまで及んだ。


私たちはあまりにも「死」を意識していない。という話に至った時の鳥越氏の話が印象的だった。
氏の幼少時代、近所のお寺でよくかくれんぼや鬼ごっこをして遊んでいた時のこと…。
墓石の中の骨壷の蓋が少しずれていて、そこから壷の中の骨が見えた。
見てはならないものを見てしまったという思いと同時に、その時から
「あぁ…、人はみな、いずれはこうなるんだなぁ…」と悟ったという。



死は全ての人たちに与えられたものだ。
私もいろんな人たちの死を見てきた。
しかし、その時は、ただ故人を偲んだり、哀しみに暮れるだけだった。
それがいずれは自分の身にも必ず訪れるものなのだ。などとは深く考えたこともなかった。


「命あるものにはいつか必ず死が訪れる」



そんなことは誰しも分かりきってることだ。
ただ、何故か?みんな避けて通ろうとする。
死は縁起が悪いもの。自分にはまだ関係ないもの。
……果たしてそうだろうか?
大震災で亡くなられた多くの方々。誰がまさか次の瞬間に、死が訪れるなんて、考えていただろうか?



memento moriメメントモリ



という言葉がある。
ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。


そう考えた時。
がんは私に「命には限りがある」ことを思い出させてくれたといえる。



今、この瞬間を生きる…
この事と同じく、死を想って生きること。




大切なことだと思っている。
なかなか難しいことだけど。