僕は、がんで死にたい


なんとも衝撃的なお言葉ですが…
中川 恵一 氏(東京大学医学部附属病院 放射線科准教授、緩和ケア診療部長)の著書「ドクター中川の“がんを知る”」にての先生のお言葉。少し引用させていただくと…



はじめに宣言しておきたいことがあります。
「僕は、がんで死にたい」
そもそも、人間の死亡率は100%。死ななかった人は一人もいません。その死に方が問題です。「ピンピンコロリ」が今の日本人の理想と言われます。ピンピンと元気で生きて、コロリと苦しまず死にたいというわけです。しかし、僕は、心臓発作などで、ある日突然死ぬのはゴメンです。やり残したこともありますし、燃やしたい資料もある。やはり、人生を締めくくる時間がほしいです。
がんが治らないと分かっても、がんと知ってから数年の猶予があります。そして、死の直前まで、痛みの症状をとるなどして、うまくつきあえば普通に生活できる病気です。
がんは人生の縮図、時計の針の回る速さがアップするだけのことです。人生は死に向かう坂道のようなものですが、がんは、その勾配がきつくなっただけ。坂道にはかわりありません。
自然との触れ合いや宗教心がなくなり、急速に寿命が延びた結果、今の日本人は「死なない」という錯覚にとりつかれているようです。しかし、医療や科学がどんなに進歩しても、人間は必ず死にます。
がんは、命には限りがあることを思い出させてくれます。…中略…
一方、がんになって人生が深まった、生きることの素晴らしさが分かった、がんになって良かったという患者さんが少なくありません。やはり、僕は死ぬならがん、と思います。




私はこの頁を読んで、どう言えば良いのだろう……
何だかとてもホッとした。
というのも、私はがんになり、何故自分ががんに?!という思いと共に、ずっと、ある種の敗北感?何にかは分からないのだけど、何かに負けたかのような思いに押し潰されそうな時があった。
周りの人たちにとっても、私ががんだと知るやいなや私は哀れな可哀相な人になるのだ。いや、そう思われるのが嫌だとか言う話ではない。私だって大切な人ががんだと知ったらきっと同じような思いになるのだろう。それはその人のことを心から想うがゆえのことなのだ。
でも、自分ががんになって感じたこと。
それは、がんになった人を哀れむ=自分はがんではない。更にその奥には、死なんて自分にとってはまだ関係のないこと。という思いが心のどこかにあったのだ。(私自身の場合)

私には死なんて、まだまだずっとずっと先のことなんだ、そう思っていたのは他でもない、私自身だったのだ。
しかしどうだろう…。自分ががんになった。とたんに「死」がどっと間近に押し寄せて来る。他人事でない、自分の身に…
「あぁ…死というものは、実はこんなにも生の間近にあったものなんだ」と思った。




死をタブー視してはならない。
それはポジティヴに生きるということと違うのでは?
いや、今を生きるということこそ死をも直視することだと思う。
死を見つめることこそ今、この瞬間を生きることに繋がるのだと思う。




ちゃんと生きて、ちゃんと死ぬ…
今の、これからの、
私の目標かな………







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