神様、それは時だった


尊敬するドリアン助川こと明川哲也氏のコラム「こころ 生きるレッスン」が朝日新聞夕刊に連載されてるのだけど、これまた明川氏を『夫(もし私が姿を消したら、明川さんのとこに逃げたと思って!)笑』と称する友人が、いつもコピーして渡してくれる。
因みに6/27に掲載された「けんかの仕方」。
もう、何と言うか…膝打ちまくり、頷きまくり、果てや涙まで出て来る始末だったので、「ここ」にも引用させていただきたいと思う。




「けんかの仕方」 明川哲也

神様お願いしますと祈ったことが何度もある。
大人の真似だったのか、幼い頃からそうだった。宗教には入らずとも、漠然とどこかで神様を信じていた。
この震災で、児童の大半が亡くなった小学校があった。押し寄せて来る波を見た時、子供たちは、神様助けて、と叫んだだろう。
でも、神様は助けなかった。あの日から、ボクの中で神様が消えた。一人一人の祈りを聞き届ける神様など、最初からいなかったのだとわかった。宗教関係者は言うだろう。それでも神はいる。この世の生は試されているだけだ。天国があるのだと。そうした考えが人の慈しみの産物なのだと、そのこともよくわかった。
とはいえ、ボクらの命があり、あらゆる存在がひしめきあうこの星が、単なる偶然からできたとも思えない。ボクはあの地震以来、神とは何かを考え、眠れない夜を過ごした。お酒も飲んだ。
辿り着いたのは、時であった。
ボクらを生み、ボクらを滅ぼすもの。
誰のそばにもいてくれて、誰にとっても公平な力。悲しみを和らげ、望みを叶える機会さえ与えてくれる。宇宙開闢から、慈悲も無慈悲もお手のものだ。
なんだ。神様の正体、それは時だったのだ。それなら、時のしもべとして、時に感謝して生きようと思った。といっても、時計に向かって手を合わすわけではない。
時が生かしてくれるこの命。誰もがそうだ。もし、今夜十二時をもって互いに消えてしまう存在だとわかれば、ボクはその人とケンカなんかしないだろう。貸した十万円返せとは言わないはずだ。きっといっしょに笑いながら、これまでありがとうと言うはずだ。
ボクは長くてもあと二、三十年でこの世から消えるので、同じことだ。ケンカなどしている暇はない。あらゆるものが愛おしい。人間だから、むっとすることがないわけではないが、ボクは「はかなき命」の容器でしかないので、なるべくケンカはしない。
それがボクのケンカの仕方だ。






もうもうもうもう…
たまらん。
この世の皆んながこんな思いの人ばかりだったら、争いごとも、差別も、いじめも、虐待も、起こらず、というか、そもそもこの宇宙、この「時」の中ではそんなことは何の意味も持たないのだ。

改めて、そう認識させられた。やっぱりすごい!ドリアン様♡
何だか、ここ数日のもやもやした気持ちまです〜っと吹いて来た風が曇り空の翳りを吹き飛ばすかのように、そこからほんのひと筋の光がさして来たかのような感覚を憶えた。


あぁ………
私たちは…さも当然のように日々を生きているが。
今を、今この時に息を吸ってはいていること自体が奇跡であり、大いなる「時」に赦されてここにいるのだ。
ここにいること。ここに生きていることを慈しみ、一日一日を大切に生きなければ…。
そうしないと、あっという間にその「時」はやって来る。






夕方神社に行くのに味をしめた娘。だぁれもいないから自由に出来るもんね。
しかし……そこまでするとは………(汗)




大きな木………
一体いつから「ここ」にいるの?



台風6号の影響で、すごく涼しい。
風が気持ちいい。
そよぐ葉の音、蝉の声。
夏休みが始まる。







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