手術から6年が経ち…


昨日、麻酔の話に触れてハッとした。
6年前の7月21日は、私の手術日だった。
19日に入院。6月末に乳がんと診断され、入院までの間に、いろんな段取りに追われ、自分の事を考える余裕はほとんどなかった。ちょうど夏休み中だったが、それがよかったみたい。その頃は、長男が今の娘と同じ二年生。休み中は学童で過ごした。夏休み中も、プールや一日バス旅行やクッキングなんかもあり、ほとんど学校で過ごした。次男はひばり園、娘は急遽入る事になった保育園へ。しかし、娘は始め泣いて慣れず、大変だった。


麻酔のことは昨日記した通りだが、やはり「3」と同時に意識がなくなったのには驚いた。以前手術の経験がある友人から「3」で意識がなくなるとは聴いていたがホントにその通りだった。(死ぬ時もあんな感じなのかなぁ…手術の時は、ちゃんと目が覚めたが、あれであのまま目が覚めないのが死ぬ感覚と、似てるのかなぁ…)なんてチラッと頭を過る今の自分の状況が恨めしい。
その日の夕方から夜にかけて、麻酔の切れる時の気分の悪さと言おうものなら…((((;゚Д゚)))))))しかも、硬い手術台に、何時間も寝てたので、背中と腰の痛さも半端なく…
夜中に二度、吐いてしまった。と言っても何も吐くものないんだけど。吐き気と言った方がいいのかな…。頭痛はするし…
リカバリー室での何とも最悪な一夜。翌朝にはもう病室に戻ったのだけど。手術翌日から歩かされ、腕を少しずつあげるリハビリ開始。(壁に目盛を書いた紙を貼られ、それに沿って毎日少しずつでも高くあげるようにして行く)
2日目にシャワー&洗髪。
しかし……
傷の痛さったらなかった。特に寝ていて起き上がる瞬間。あのヒィィィィッっと言う痛みは今まで経験した事のない痛みだった。
ずっと痛む訳ではなく、体制を変える時が激痛なのだ。なので、昼間はずっと起きていた。傷の痛みは日にちが経つのを待ち、ジッと耐えるしかない。手術した左胸には鉄板かなんかが乗っかっていて、腋にはブロックが挟まっているかのような感覚だった。
左の腋下からは、二本の廃液ドレーンが出ていて、外のパウチに、血液ともリンパ液ともいえない液体が溜まっていく。その量が段々と減って行き、術後4日目にしてドレーンが取れた。抜く時がまた何とも言えない感触…胸のあたりからにゅるにゅるっとミミズかなんかが出て行く感じ…でも、ドレーンが取れてスッキリし、それからはみるみる目に見えて回復して行った。子ども達や、家の事が気になって仕方ない私は、術後何日かで外泊し、先日娘やさーちゃんと行った庭園に行って遊んだり、髪を切りに行ったり。待ち構えている術後化学療法に不安はあったものの、



『これで抗がん剤に耐えたら、私は治るんだ』



と信じていた。
しかし……術後三年四ヶ月後に遠隔転移。
がん細胞は、耐え抜いたあの化学療法をも生き延び、増殖を続けた………。







今日、長男が一泊旅行から帰って来た。
海で泳いだり、花火やBBQ、鍾乳洞…夏を満喫して来たみたい。
来年も絶対行くって言ってた。友達と一緒って楽しいよね。思春期には、親以外の信頼出来る大人が絶対必要。
私だって、友達と過ごすのはあんなに楽しいのに、家に帰るや否や不機嫌になったりしてたもんな…
「私には話しかけんで」オーラだしまるでさ。(笑)
何かが取り憑くみたい、思春期って。自分でも自分の事がよくわからなくて。何でイライラするのかも。でも、何時の間にかスッとツキモノが去って行く。
思春期という嵐が去るのを「待つ」しかないですな。
そっと見守りながら。








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