がん患者には家族以外の支えが必要


平成23年、7月29日、金曜日の出来事…。
長男は職場体験2日目で医療センター。
次男はひばり園。
娘はさーちゃん宅。
で、私は……病院です(−_−;)



しかしまた昨日の多さたるや…全く、みんな大変だよね…疲れた表情でソファで待って…
なんか、だんだん執行を待つ囚人のような気分になって来た。
いかんいかん…プラス思考プラス思考↑↑↑↑↑
だがしかし…
結局、また先に穿刺して、そのまま一時間半位待たされた(>_<)
でもね。
昨日は以前、「ここ」にも書いたがん友さんと一緒になり、いろいろおしゃべり出来ました。
もの静かな彼女…。「たぁちゃんには、家族には話せないことも話せる…」なんて言ってくれる。今の自分の病状を、家族に言うべきか迷っていると言う。でも、わかるな…その気持ち。家族に言って、心配させたくないんだよね…。



不思議なもんだ。
20年、いや、10年?程前までは、がんの告知は先に家族だけになされていた。「がん」と聞くと、まさに「死の宣告」だった時代。
しかし、今は本人にも告知されるのが一般化して来た。それはとても良いことだと思う。本人のことなのに、本人抜きのところで、深刻な話がなされるなんて、考えられない。特に私のようなタイプの人間は、どんなに隠されようがすぐに察しがつくというものだ。
けれども、ここからが問題になる。
がん医療が進み、今や「がん=死」に直結ではなく、がんと共存して生きれることが可能になりつつある。闘病も長くなって来ると、家族の中でも、最初の危機感と言うようなものがだんだんと薄れて来る。
しかし、治療しつつも、少しずつ、少しずつ、進む病状の中で、本人は、まさに「死」と向き合って行かねばならない。しかも、病状の事は、医師と本人の間でなされるので、患者本人は、否応なしに、全てを背負うことになる。先の彼女のように、家族の心の心配までもしなくてはならない。それはやはり、《自分ががんになってしまった》と言う気負いが根底にあるのだ。
がん患者のこの重圧………。
死への恐怖(私の場合は死そのものよりも、愛する人たちと別れなければならないという恐怖)。
辛い副作用に耐えること…。
治療に対しての不安。
治療しながらの毎日の段取り。
高額な医療費。
あ〜、書いてたら、なんかうんざりして来た。
要するに、何が言いたいのかと言うと、がん患者には、がんと診断されたのと同時に、がんそのものの治療と並行して、緩和ケアが絶対に必要と言うことと、患者が家族以外に、
《家族には話すことの出来ない》
いろんな思いをぶちまけるところがあること。
これ、とっても大切!
家族や友人に話せるに越した事はないと思うが、でも、彼らはがんではない。やはり同じ思いを共有出来る仲間と言うか、同士を持つことは闘病の心の支えとなる。
例えば患者会でもいいし、インターネット上のがんのページでも、Blogでもいい。



同じ病になったが故の繋がり……
これもまた、ご縁。
これもまた、新たな繋がり。
たくさんの仲間と支え合う輪が広がれば、



《がんもそう悪くない》



そう思えるようになれるのかも………






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