「悪いモノが出ました」と言われた時


毎年夏になると、手術した時のことがリアルに蘇って来る。
夏だったのでね…
がんが発覚した時、初めは自分ががんになったということ自体が信じられず、夢じゃないのか?いや、どうやら夢ではないようだ。でも、細胞診の結果はきっと良性に違いない。結果を聞きに診察室に入ると、医師が「たぁさん、良かったですね。異常ありませんでしたょ」とにこやかに言うのだ。きっとそういう展開なんだと信じていた。いや、正確に言うと、信じたかった。信じようとしていた。と言ったほうがいいのかも知れない。心のどこかに、(悪いものではないのか?)と言う懸念を抱いていたことは確かだ。だから毎年誕生月に検診していた。にもかかわらず、がんになった。
《検診をしていた》
と言う思いが、余計に信じられないと言う気持ちを強くした。
でも。。。
結果はやはりがんであった。
すでに腋窩リンパ節までぼこぼこに腫れていて、もはや腋窩リンパ節転移は確定みたい。多分がっつりと郭清するであろう。
しかしそれでもピンとは来なかった。
これからの治療をどうするか?の話の時。
術前化学療法の話もされたが、その時は全くの無知であった私。手術の前に薬物療法なんて、信じられない!と言う思いだった。化学療法のことにも薬剤のことにも全くの無知であったあの頃。全身に散らばっているがん細胞を先に攻撃する。しかも、今あるしこりが小さくなれば、その薬剤が効いている、と言うことを知ることも出来る。そんなメリットなど知るよしもなく。しこりを早く取らないと、どんどんがんが広がっていく。そんなイメージがあったのだ。
「悪いモノはさっさと取ってしまいたい!」本当にそう思った。正直、手術には何のためらいもなかった。主治医にも、
「ぐずぐずしたくないんです。早くきれいさっぱり取ってください」と言った。さすがに主治医は驚かれたようで。
「たぁさん、潔いですね。分かりました。では先に手術しましょう。オペの予約入れますね。その潔さがあれば、これからの治療もきっと上手く行きますょ。一緒に頑張りましょう!」と…。
がしかし、その後、術後の治療方針を聴き、唖然。
《リンパ節転移は確実なので、術後は化学療法をします。抗がん剤CEFを6クール。(初めはCEF6クールの予定だったが、CEFの後、タキサン系の抗がん剤をした方が治療効果が上がると言うデータが出ていると言われ。あーた、それを早く言ってょ。良いデータの方にするに決まってんぢゃん!となり、結局、CEF4クール、タキソテール4クールとなった。)それからホルモン療法を5年間。》
と言うものだった。
「5年?!じゃあ手術と化学療法も含めたら6年余り?!そんなに?嘘やろ…」
これ、その時の気持ち。
乳がんのこと、全然なーんも分かってなかった。と言うか、がんを甘く見てた。しこりをササっと取っちゃえばいい。くらいに思っていた。
よくよく考えれば、それでいいんならがんと言う病がこれ程厄介で恐れられることもないんょね。
細胞レベルの事なのだ。
しこりを取って、ハイおしまい、ではない。
しこりとして認識出来るようになった時にはすでにがん細胞は全身を流れて巡っている。今の段階では検査にも出ない。でも、目には見えないがん細胞を、術後化学療法でやっつけちゃう。
うん。納得。
でも、それも最初は信じられなかった。
ホントにそんな治療しないといけないんかな?
抗がん剤?!脱毛?吐気?そんなんテレビドラマの中のこと。
まさか自分がそんなことになるなんて!!!!!


そんな思いの渦の中にいた。一瞬だったけどね。
《あたしがどうこう言っても、どうやらやらなきゃいけないことらしい。ならやるしかないな。とにかくやってしまわんと前に進めん》
と思った。でも、いざ治療が始まってからも度々思ったけど。
(なんでアタシがこんな思いしなきゃならないんだろう)って。
人生、やり直しはきかないし、どんなことでも受け入れて行かねばならないことは分かってるつもり。でも、がんに関してはちょっと違う。
がんになったことは仕方ない。これはもう自分でどうこう出来ることではない。でも、出来るだけ早く、早期の段階で見つけること。それが治療の内容も、しいては命の時間も決めることになる。



「自分には無関係だ。自分ががんになんかなる訳がない。まだまだそんな年齢じゃない」そんな思いが自分の命を左右する。
生きてる限り、自分はがんにはならないという保証なんてどこにもない。







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