生かされている意味


いろんなことが脳裏を過ってます。
あんまりいろんなことなので、自分でも何が何だかさっぱりで、上手く書けないかも知れません。


私は今から6年6ヶ月前に乳がんの告知を受けた。
あの時の衝撃は今も鮮明に憶えている。忘れることなど出来ない記憶。
乳がんのことについて、全くの無知だった私。
告知の時は、手術すれば治ると思っていた。このシコリ…悪いところは一刻も早く、綺麗さっぱり取ってくださいと主治医に頼んだ。
しかし、それから本やネットなどでいろいろ乳がんのことを知るうちに、だんだん怖くてたまらなくなった。
リンパ節転移9個ということがどういうことなのか。


そして手術から3年4ヶ月後に肝転移発覚。


自分の運命が信じられなかった。
何で、どうしてこんなことにならなければならないのか?
どんなに考えても答えなんてなかった。
でも、それが、自分に与えられた運命だとしたら、受け入れるしかない。
何事も、受容することから始まる。
そうすると、少しずつ、ほんの少しずつだけど、前が見えて来る。


あの時、長男は二年生(今の娘と同じ)。次男は年長。娘は二歳になったばかりだった。
「今、私がどうにかなる訳にはいかないんです!」
必死で主治医に訴えた。


乳がんになったこと。
それは全く持って「不運」と思うしかない。
でも、何だかしっくり来ないのだ。
告知された時の思い…「何で私が!?」
そう、私は自分はがんになんか、なる訳がない。と思っていたんだ…。
自分もいつかは死ぬんだ、ということも、考えてなかったんだ。
でも、命とは、「生まれる、生きる、そして死ぬ」
このことを実感していない、なんと驕りくるっていたことか!


私はたまたまがんになったのか?
次男はたまたま障がいを持って生まれて来たのか?


どうしても「たまたま」と思いたくない自分がいる。
何か…意味があるように思えてならない。


この宇宙には無数の魂が生きている。
でも、今の私には肉体がある。
この肉体をもって体験しなければならないことがきっとまだあるのではないか?
目には見えないけど、いつも私たちとともに生き、見守ってくださっている魂に恥ない生き方を…







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