治療と、母の涙と……

先週金曜日は治療日でした。
採血の後、ゾメタ。
ゾメタは3〜4週間に一度なのですが、少しでも通院の手間を減らしたい私は、もちろん4週に一度にしてもらっている。しかし、そうすると、飲み薬(ゼローダ、タイケルブその他)の日にちが合わなくなり、、、でも、薬処方のためだけに病院来るのも面倒なので、ゾメタの時にまとめて処方してもらっている。
ゼローダ2週目には必ず口内炎が出没(今、唇の裏と舌の裏に…最悪(>_<)。なので、デキサルチンも忘れずに。
手足症候群は相変わらず酷いまま。
毎日風呂上がりの絆創膏付け替えにうんざりだけど、もう日課と化してる。次男の浣腸と一緒。日課の一つに組み込まれてる感じ。
次回、また肝臓造影エコーの予約を入れることに。



今日は週末行けなかった母のところに行く。
見た目すっかり元気を取り戻した母たが、検査の結果、いろいろと問題が出て来た。今までのような一人暮らしは無理かも知れない。
今、ドクターも含めケアマネ、ソーシャルワーカーの方たちと今後の事を相談中。
昭和初期の激動の時代を生き抜き、両親を看取りそして私を女手一つで育ててくれた母。
ずっと働きづめだった。いつもいつも親や私のために…
公園での朝のラジオ体操も何十年も続け、鬱はあるものの、体は元気だと、もちろん本人も思っていたのに、そうではなかった。
人間、歳をとっていくものなんだ。分かり切っていることなのに、自分の親のそんな姿を見るのが切なくて、悲しくて…。


親は子どもより先に逝く


内田美智子先生の言葉が今更ながら、心に突き刺さる。


ほらね。
私はいつだってそうだ。

「お昼どっか食べに行こう」
「お母さんと一緒に買い物行こうや」

って言われても、「忙しい」
いつもそのひとことで済ませていた。実際、ほんとに忙しいのだ。でも、どうして母の為に、ほんのちょっとの時間を作る事をしなかった?それくらい出来たはず。


親孝行したい時に親は無し


とはよく言ったものだ。
今日は次男のお迎えが遅い日だったので少しゆっくり母と過ごした。
一階の売店に行ったり、病院のカフェで母の好きなラテを飲んだり、寒かったけど、久しぶりに晴れていたので外を散歩したり。
私が持って行ったベストを病院着の上に羽織り、とても嬉しそうに微笑む母…。
ふらつかないように、ずっと腕を組んでいた。
幸せだった。
(あぁ…お母さんだ…(泣))
心の中で呟いていた。

そして私は自分の本当の気持ちに気付いた。
私は一人暮らしの母に余計な心配をかけまいと、何も言わず、特に再発してからは母を避けるかのように生きて来た。でも、本当の私は、今日のような母との時をずっと過ごしたかったんだって…。
煮物を作って持って来てくれる時、いつも走り書きの手紙が添えられていた。
そのひとつひとつ、全部大切にとっている。
私、、、避けていたなんて言いながら、本当はいつもいつも母の事想ってた…



薬のせいか、性格も穏やかになったような、、もともと明るい性格なので、看護師さんたちからも良くして頂き、ワイワイと人気者のようだ。その事だけが救い。


売店で買った林檎ジュースを「美味しかぁ」としみじみ…(T . T)
お迎えの時間になり、帰る時、ほろほろと涙をこぼす。

お母さん、また来るけん、、、
こんな娘のこと、いつもいつも想ってくれてたんやろな。
私が娘を想うように……








娘と私の梅の花が満開に。
梅林寺が大好きな母。亡くなった叔父と毎年梅の花を見に行っていた母に見せてあげたい。





明日は次男の卒業式。
ちぐの「今」をしっかりと心に焼き付けて来ます。







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