退院日・医大日・そして今日

9日。予定通り退院。


朝、もう一度グリセレブ点滴静注(200mL)を行う。これはガンマナイフ実施後、頭蓋内浮腫を起こす為。
そして脳の浮腫みや炎症を抑える為、退院日(9日)から16日間、リンデロン錠0.5mgを内服する。
1日2回朝・夕食後だが、錠数を段々減らして行く。
9日〜12日までは1回4錠×2。
13日〜16日までは1回2錠×2。
17日〜20日までは1回1錠×2。
21日〜24日までは1日1回朝食後のみ。

胃の調子を崩すこともあるからとガスターD錠10mgも1日2回


洗髪は2日間はいけない。
この夏に…こんなに汗かくのに?脱毛してて良かったのかも。
状態に応じてメリット・デメリットってあるもんだな…。
洗髪がまだダメだと言われる意味は分かる。
だってこのビスの跡!!!
穴がほげている…((((;゚Д゚))))))) 4カ所にも!
やはり思った如く、ビスの固定は頭蓋骨まで到達してたんやな…。((((;゚Д゚)))))))
しかも頭の表面が何となく軽く痺れてる感じ。



そして今回1番感じたこと。
がんとしては末期状態の脳転移を意図も計画的に、確実に行い、気持ちが深淵に落ちたままだという状態を長続きさせてはいけないと言う事に確信が持てたというか。
どの様な状態になってもがん自体を単なる病気の一種と捉え、続々と開発されている治療法のことを自分も把握して行きたい、という思いが一層強くなったと言える。



ガンマナイフセンターの方々の対応も自分自身に凄く合ってたと感じる。
3日目に退院する時も、
「お疲れ様でした。お気をつけて」的な感じ。
要するに、(あぁ、この人、再発による転移性がん患者なんだ、しかも末期の…)という悲劇のヒロインという目だけで自分自身を見られる事自体に嫌気が差すのだろう。
人間には必ず死が訪れる。が、健康な日常の生活を送る際に自分の人生には限りがある、などという事を常に考える時など滅多な事では無いのではなかろうか。
が、今の様な状態になると、その事は近い確実の事としていつも脳裏を過っている。
その状態の中で1番強く感じるのは、その終焉までの時間が、自分自身の思いによって、何も出来ず、がんに遣られるだけではいけない。


自分の残された時間をどの様に生きるのか?


は自分自身でしか選ぶ事は出来ないのだと感じる。
動けなくなる日をどれだけ遅らせる事が出来るのか?
動ける状態を保つ為には自分がどの様な治療を受ける事がベストなのか?
少しでも長く生きる為には自分がどう在るべきなのか?
それらの事は医師にも家族にも助けてはもらえず、自分で乗り越えるしか道は無い。





………………。
退院の日の事を書くつもりが何だか深い心の部分に…?
いかんいかん。
こんな事を書くのはまた日を改めますね。



退院日の続きです。
11時に退院したのですが、友人が迎えに来てくれた。ホントに有難かった…。
そしてこの患者のやった事…。
齋藤医院にてアミファーゲン注射は予定してたんだけど、
たかが風邪の時でもしないだろうに、脳転移のガンマナイフ治療退院日に、稲庭を食べて帰りました^^;
自分でもいい加減呆れる。


娘はお泊りがたまらなかったらしく、楽しかった事ずくしだったようです。
本当に…
この様な治療を行えるのは母友にもヒューマンネットワークに腰を据えていてもらえるからですねm(_ _)m
「御飯だけ炊いといてくださいね、りーちゃんに後は混ぜるだけのビビンバセットを持たせます」と!
退院日の夕食、はぁ…↑↑↑助かりまくり…しかも私に必要な野菜たっぷり、嬉しかったです!



ただ、やはり身体はキツイ。
おまけに頭も洗えない。11日までシャワー時に頭は拭き拭きにした。
が、キツイながらも家の事、例えば食事を作ったり、洗濯をしたり、掃除機をかけたり…という事はやってしまう。
と言うか、うちの家族はこの様な状態になっても、
「大丈夫!?あぁ、もう何もしないで寝てて。で、治療どうだったんよ?」
とか、私のことをいろいろ聴くタイプでは無いな。
そりゃ、全て「私は何にも出来ない」と言ってしまえばやってもらえるんだろうが、こちらから言って、「はぁ………↓↓↓」みたく機嫌悪くなられると、そっちの方が気持ち的にダメになる。だから私自身もやれる事はやれるだけやりたい、と思ってるんやろな…。
でも、今回退院してからは、子供達にはいろいろ教えまくってます。
今朝は早く起こし、長男、娘に瓶や缶、ペットボトルを捨てに行かせました。
夫は昼まで寝てたけど(ーー;)




いや。
また今朝の話などに…。違うね。
先に書かねばならないのは12日、昨日の医大での事やね。
ガンマナイフセンターからの報告書も渡し、腫瘍マーカーも調べました。
3個増えていた事に関しては、医大でCT撮った時からも兆候はあったんだろう、という事。
そして7月17日検査から4週間も経っていない12日の検査でのマーカー結果は勿論の如く上昇。

7月17日・CEA→150.6・CA15-3→75.2
から
8月12日・CEA→264.6・CA15-3→94.5

やっばりね。
ハラヴェン+ハーセプチン4クールを終えたのが7月26日。
それから2週間以上何もしていないんやからそりゃ上がるだろう。
本来なら2週目の9日から何らかの治療を開始する。
そこで主治医との話は、次の治療法はアバスチン+パクリタキセルに決定。
考えてらした通りの事だった。
初回は16日から。
「ガンマナイフを終えたばかりだし今日より16日までおいた方がいいんじゃない?と言っても4日後よ」と。


ガンマナイフ後の新たな抗がん剤、アバタキに決定。
肝臓、お願い、頑張って…




医大帰りはまた齋藤医院へ。
アミファーゲン注射2本。
そして音楽療法士の篠崎先生にもお会い出来、手作りの辰巳さんレシピ椎茸スープを頂きました。



腫瘍マーカーは上がってたけど、急ぎ過ぎず、16日までは抗がん剤抜きでゆっくり身体を休めようと思います。
そして16日から、また新たなスタート。





12日の医大は大体こんな感じでした。
そして今日のご報告。
これが1番の事でしょうね。


今、横にちぐが寝ています。
夏休みの帰宅、本当は12日から18日まで1週間。出来ればそれ以上と考えてました。
でも、脳転移が発覚。そしてガンマナイフへの入院。その後のこの身体の状態。
を考えると、今回長い帰省は難しいようです。
明日の夕食直前に園に戻る事になりました。

帰って来たちぐは本当に嬉しそうで、いつもと同じようにニコニコで顔の前で両手を振り振りするのでした。
ちぐが帰って来たことでしなければならないことは増える。
この状態でそれはキツイ事でもある。
でも、これ以上に幸せなことは今の私には感じられなかった。



にゃんず達のせいか?やはり少しだけ咳と目の充血。
今日はぐれりは朝からずっと家の中で過ごしたので、ちぐ帰宅と同時にケージに居ます。



8時半就寝の毎日よりかなり長い1時前まで布団で寛いでました。
ずっとちぐを見ながら、感じながら書いてたけど、いい加減私も寝ないといけませんね。
一晩中どうしてもずーっとちぐを見ていたいけど…。





庭で花火をしました

たまらなくて雄叫びしながらの両手フリフリ

ちょっと火や煙が気になったけど笑顔で花火を持ったよ

線香花火が1番好きです(あ、これは私ね)

ちぐの変わらない表情…

私はどう在るべきなのか、どう生きるべきなのか、、、
いつもちぐが教えてくれる…



ちぐ…
おやすみ。。。








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