アクティブな終活


ふと思った。
終活って一体いつやるものなんだろうか。
いや、たまたま今日も思っただけのことで、このことはもうずっと以前から考えている。言うならばこのBlogですら終活の一環のようなものだ。書き始めたのは再発後2年も経ってからだし、自身の闘病のことや子供達や家族の「今ここ」を大切に書き留めておこうと思った。記憶とは少しずつ薄れていくものだから。


一昨年の年末。
どうにも動けなくなって齋藤先生に訪問看護をお願いした。
その日のうちにいらしてくださったのは以前から私も面識のある緩和ケア認定看護師のOさん。毎日の点滴の間、いろんな事を話したり聴いていただいた。その中でおっしゃったことは
「やりたい事、やらなければいけないと思ってる事は今のうちにやっておいた方がいいですよ」
という事。それまでにも終活の話をした時「それはまだ早いんじゃない?」とおっしゃっていた齋藤先生も同意見だった。それだけ私の状態が良く無かったのだ。
「今まで出会って来た患者さんで『もう少し早く、動けるうちに聞いていれば、もっといろんな事をやっていたのに』とおっしゃった方が沢山いらっしゃるのです。その方たちの想いをお伝えするのも私たちがしなければならない事だと思っています」と。


そこで考えた。
しなければならない事って…。
勿論、子供達のいろんなこと、母のこと、私にしか分から無い諸々のことを伝えておく(書き留めておく)こと。諸々。
それから葬儀などの事。
「そんなんその時は自分にはわからないんやから、好き勝手やって〜」
と思えればいいのだろうが、それがなかなか思えないんだょなー。
そもそも結婚式だってちゃらちゃらお色直しだとか何回もするのがアホくさくて、一切を自分達で計画した。
それと似たような感覚?今は結構多いらしい。スライドで映される想い出の写真を前もって選んだり、流す曲を決めたり式自体を段取られる方が。
なんてアクティブな終活!
でも考えてみれば自分の事だ。そう出来れば理想だと思う。
と思い、実際私も去年の1月だったか2月だったかに試みようとしたのだ!
(葬儀場と言えばココかココやな…)
と思ううちの一つに治療の帰り道に立ち寄った。車を乗り入れる時にドキドキした。
夕方遅かったので誰もいなくて、雪のちらつく中、何をするでもなくウロウロした。
すると制服姿の女性の方がいらして
「どうかなさいましたか?」(確かこのようなことを)と声をかけてくださる。
「いえ、ちょっと見学といろいろお尋ねしたくて…」と私。
「事務所の方で今からでもよろしいですよ」とおっしゃって下さったが、「いえ、また出直します」と言って帰った。
私は今、自分の葬儀の予定を入れにここに来たのか?という違和感と、(そんな事をしたら引き寄せの法則じゃないけど、そのようになっていくんじゃないか?)なんてマイナス思考極まり無い思いが過ったからだ。

どうやら『命在るものにはいつかは必ず死はやって来る』という事にまた戻らねばならないのか。私にとって死は漠然としたものでは無いというのに。



終活はいよいよ終焉の時が近付いてやれるものではない。
自分が思う終活があるのならば、元気なうちに、動けるうちにやっておくべきなのだろう。
何事も、『あの時やっていれば…』と思わぬようにしなければ。












いつも「ここ」へ来てくださり、ありがとうございますm(_ _)m
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