“あん”がないのも人生

“あん”がないのも人生さ 〈ドリアン助川



ある日のクリームパンの思い出が、今でもときおり顔をだす。
祖母と分け合ったクリームパンだ。
幼い頃、私はよく祖母と旅をした。若かった両親が経済的困難にコブラツイストかましたり、かまされたりしている最中だったので、私を連れだしたのだろう。
北海道の親戚の家の前の磯ではウニが採れた。自分で採りに行ってご飯にのせるのだから、労働対価を学ぶに最適のウニ丼だった。
岩手では酢漬けの食用菊、群馬では干し芋をいただいた。
各地の駅弁の味わいとともに、こうした記憶が自分の底を作っている。



さて、クリームパン。
昭和40年代半ばのことだから、今ほど多種類の菓子パンはなかった。
祖母がうれしそうな顔で買ってくるのは、たいていクリームパンかジャムパンだった。
兵庫県のとある町。六甲山が見える団地の小部屋で祖母が袋を破り、クリームパンを取りだした。はじっこをちぎって私にくれ、次をちぎって自分の口に入れる。
すると祖母がこう言ったのだ。
「このクリームパン、きっとクリームが入ってないよ」
「えーっ!」
まさかそんなはずはないと思った。関西で一番大きな製パン会社のクリームパンなのだ。クリームがかたよって入っているに違いないと私は主張したが、祖母の勘がその先を見越していた。
祖母はまたパンをちぎり、私にくれる。クリームなし。私も次をちぎる。クリームなし。これは本当に入ってないのかも。そう思い始めると、パンがちぎられる度に六甲山に腰かけた交響楽団がジャーンと音を炸裂させているような気分にさえなってきた。
クリームなし、バレンボイム指揮でマーラーの重低音がジャーン!


そして本当に、クリームは入っていなかった。
交響楽団さえいなくなり、空疎な世界に私と祖母は落ちていった。
文句を言いにくい?と訊いたら、祖母は「食べたあとでクリームが入ってなかったと言ってもね」と笑った。


これからは私の想像だが、「クリームの入っていないクリームパンを食べられたのも、ひとつの味わいだったね」と祖母は伝えたかったのではないか。笑顔がそう語っていたように思う。
家庭に恵まれず育ち、結婚も破局に終わった祖母は、クリームの入っていないクリームパンを食べ続けたような人だった。だが、これはこれで味わい深いのさ、と自分に言い聞かせてきたのかもしれない。もしもそうなら、その姿勢は私が継いでいる。
勝ち負けではなく、味わうために生きている。











2014年3月17日・月曜日・晴れ

こんばんは。
今夜は敬愛するドリアン助川こと明川哲也氏のコラムを。
この人の奥底にはいつも観自在の眼がある。




今日は小学校の卒業式。
新たな旅立ち。小春日和でよかった…。



私はといえば放射線照射再開。7回目。
うがいのポーズはまだ出来ないが、痛みが和らいで来たような…。
そして、夕方、心電図も取れ、夜には点滴も取れた!
二週間以上刺しっぱなしでヘパリンロックしていた右鎖骨下のポートから針を抜いた。
明日からは経口の抗生剤内服となる。
これで、完全に身体から全部のチューブが取れました!




夕方、主治医との話で夫が来、りーもついて来た。
コンビニ弁当持参で来たので一緒に部屋で夕食を食べる。
ペンネの海老グラタンを食べてた娘。大好きな海老を落としまくり、
「も〜、このスプーンが食べにくい!あ〜、私のエビちゃん、ゴメンね…」
なんて言いながらたべてた(笑)。
少しでも会えてよかった。
このひとときが幸せ。
「みんなの日記」を書いていたので、持たせる。
次は子供達の番。











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