ちぐ

以前に妻も書いていると思いますが、ヒルシュスプルング病(ちぐの病気)
生まれながらにして腸管壁の神経節細胞が欠如していたために排泄が困難という病気
ヒルシュのオマケで色素が薄いってのも彼は持っています。
色白で目が青くて生まれたときは金髪・・・今は濃い茶髪

生まれて数日で人口肛門の手術、四歳ごろに根治手術(腸と肛門をつないだ)
現在、排泄は浣腸併用でしています。
色素が薄いに関連して三半規管あたりがよろしくないのでバランス感覚が最悪
五歳ごろまで肢体不自由の等級2、背骨を支える筋肉もしっかりしておらずふにゃふにゃ
一生涯車椅子と言われていました。今では、元気に走り回ります。
逃げ足がやたら早い・・・これにはまいります。

横浜から福岡に引っ越して「ひばり園」(障がい者が通う幼稚園)に通うようになってから、彼は変わりました。
園が楽しくて楽しくてしょうがない、遊びたい、触りたい、泳ぎたい、走りたい、
そんな彼自身の思い、願い、が肢体不自由から彼を解放してくれたんだと思います。
思う、願うって大事ですよね。しかし、これには奇跡かと思いました、妻と泣きましたよ。
ちぐが走る・・・横浜時代を考えると夢物語でしたから。

そんな彼も中学生。自閉症があるので日中かならず付き添いが必要・・
目を離すと何をするかわからない・・家の中でも油断すると大惨事・・
一年前に妻が危篤になった時に施設にお願いしました。それまでは妻が学校に送ったりお迎えしたりお世話したりetc

妻の「何が何でも生き続ける」という精神の源がちぐの存在だったと思います。
龍、リーのことももちろんですが、ちぐには生きていくうえで必ず誰かが必要ですから、
とにかく最後の一年間は私が言うのもなんですが、無理やり治療してましたね。
体調が完全でなくても何とかいけそうなら抗がん剤だろうとガンマナイフだろうと・・
彼女なりに時間がないと思っていたんでしょう。
大学病院の先生を質問攻めにしたり、以前に増してとにかく自分が納得しないとダメ、
可能性があることはすべてチャレンジ、鬼気迫るときもありました。
週末はちぐの施設に訪問、これが一週間の〆

施設にお願いするとき悩みました・・年末から年明けの二か月ほど、妻が寝込んで動けない、仕事、家事、送り迎え、
この時も妻と泣きました・・・これ以上は無理と・・このままでは生活自体が崩壊しそう・・
お世話になっていた介護士の方からも今は治療に専念するべきとアドバイスもありました
身を削る思いで決断し施設にあずけると、すぐに新しい生活になれてくれて一安心
妻と「ちぐは寮生活してんだよ」と慰め合いましたね、大人への第一歩、それに一生涯一緒にはいれないのだからと
施設で色々とやらかしてるみたいですが先生たちに見守られて楽しくやってるみたいです。
そんな自由奔放な彼が通夜祭では私の横に終始座っていました。落ち着きがなくなったら退席を予定していましたが
最後まで母親の遺影やスライドを座って黙って見ていました。
通夜祭後に施設に帰ると泣いていたと後日聞きました・・・

妻が他界してから毎週、施設に行くようにしています。
大好きなリンゴジュースとチーズケーキかロールケーキ持参で
今日も行ってきましたが、帰りに自分も帰ると靴を持って玄関に・・・
やめてくれ、切なくなるだろ、と心の中で泣きましたよ・・・
とりあえず近々、髪の毛が伸びてきているので帰宅して自宅散髪、切るのは私
昔からそうしています、たまに失敗しますが成功率は八割かな
しかし、今度の日曜から怒涛の運動会三連チャン、毎週日曜が運動会とかどんだけよ
いつ散髪すればいいの??日帰り散髪帰宅しかないか・・

↑食べてる途中で撮影しはじめたから不機嫌w
ちぐ話は散髪したらまた書きます。