「受け入れる」ということ

今日は娘と出かけました。
と言っても、長男の制服の補正や、新学期に向けて不足していた文房具の補充を兼ねて近くのショッピングセンターへ。
ついでに2人でランチして来ました。
風邪もひいていて身体は疲れていたけど、家にはいたくなかった。
またもや私、「ちぐがいない症候群」に陥りそうだったから…。



4月3日。晴れ



午前中、とっても嬉しい出来事があったのですが、このことはまた後日書きます。



戻る予定だった1日の朝発熱したちぐでしたが、熱があったのはその日だけで、2日は家でゆっくり過ごしました。
ちぐが帰宅していた5日間。
どこに行くでもなく、おまけに熱まで出てしまったので、ずっと家で過ごしたのだけど、私にとって、その時間は新たな発見に満ちた5日間でした。
思いがかなわず、スプーンやペンを投げる、というのは何度かあったが、以前より確かに減った気がする。
そして、相手にどうにかして「伝えよう」とする仕草がたくさん見られた。
家では私がちくいち察知して、してあげていたように思う。でも、いつまでもそうであってはいけないということはずっと感じていた。これは、やはり離れることによって身について来たんだな…と思う。自分から相手に意思を伝えるということは生きて行く上でいちばん大切なことなのではないか?


毎日の浣腸の後の排便。
これも、オムツでなく、ちゃんとトイレで。
ただ、1時間以上トイレに座ってるので、その間はまだ目が離せないのだけど。
でも、そのトイレの時間がこれまたコミュニケーションの時間に変わった。
私「もういい?」
ちぐ「まだだめ」
の手話は以前のオムツの時と同じだが、時間はかかっても、トイレで出来た。ということがちぐにとっては出来ることが増えた成功のひとつなのだ。これが家では口で言う以上に難しいことだった。それが治療日ともなると…((((;゚Д゚)))))))
夕方お迎え、買い物、夕食の支度をしながらトイレに1時間以上付き合うのが無理に等しかったのだ。たとえば浣腸の時間を夜にずらして、交代で見るという夫の協力が得られるのなら出来た事だろうけれど。


今回はまだ目が離せなかったけれど、次回はチラ見でOKくらいになってくれてるかな…
ちぐならきっと出来るはず!



トイレも済ませて、夕食の時間ギリギリに間に合うように送りました。
最初は大好きな車でお出かけ!と思ってたみたいだけど、園が近付くにつれ笑顔が無くなり、ぐずり出すちぐ。もう私は運転しながら号泣です。
それでも園に着き、車を降りると、「こっちだょ」と言わんばかりに指を指し、私の前を行くちぐ。
靴を脱ぎ、自分の靴箱にきちんとしまうのでした。


先生にご挨拶をし、このことを話すと、
「お母さん、ゆうくんは何でも分かってますよ。一度覚えたことは絶対に忘れません。いろんなことをきちんと理解出来ます」って。


そしてきちんと整列して手も消毒し、ランチルームの自分の席へと着きました。
笑顔のちぐには戻らなかったけれど、私もまた号泣しながらこの時を受け入れて帰途につきました…。





熱は下がったけど、布団でまどろみました


車に乗る前、、、


植えた沈丁花の苗木の横で…


車の中でのちぐ


一人帰途につく…
夕陽はこんなにも美しく、、、


ついさっきまでいたシートにちぐの姿は無かった。
さっきはもう、過去になってしまった。
でも、その過去の積み重ねで今がある。
そしてこれからの未来が。
過去はずっと私たちのそばにいてくれる。




ちぐ…
ママも頑張るよ。。。









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