「ママの生き様を見てて。」

通夜に来てくださった沢山の方々、本当にありがとうございました。
本当に沢山の方々が来てくれていて、驚きました。
母が沢山お世話になりました。ありがとうございます。



母の通夜が終わり、今母の隣でこの記事を書いています。
正直まだ母が亡くなったのが信じられません。
いつかは、と思って覚悟はしていたつもりでしたが・・・。
今字を打っている手が震えています。
母はまるで綺麗な人形のように寝ています。


4月から母が家に帰るというのを聞いた時は嬉しさと同時に不安がありました。
母はこの20日間、できなかったこともありましたが、いい20日間でした。
皆でご飯を食べ、普段どうりに話したりして過ごしました。
体調が急変したのは先週の金曜あたりからで、月曜から声が枯れてきていたのでおかしいとは思っていました。
急変してからはあまり話もできない状態で、トイレに行けないので管を通していました。
痛みを和らげる薬を同じように管を通して入れていました。
それからは自分の力で起き上がることができなかったので、家族で手伝っていました。口がよく乾くようで、何度も水分を摂っていました。

それから土、日曜日。
親戚の方々や、母の友達、母がお世話になっていた先生、妹の担任の先生まで来てくれて。
上手く喋ることが出来ず、寝ている母を見て泣いて行く方もいらっしゃいました。
そして弟の雄が来た時、母は涙を浮かべながら
「また、(家族)みんなで、ね。みんなで。」
と言って、私は耐えきれず洗面所へ行って泣きました。
その日の夜、母は空へ旅立ちました・・・。
母は天井を見て、溜息の様な息を吐き、旅立ちました。
私は冷汗が出、何が起こったのか、戸惑いました。
母を呼びました。
返事は無く、母はただ、幸せな夢でも見ているかのような顔をしていました。
父は母に何か感謝の言葉を言いながら顔を撫でていました。
その後母がお世話になっていた先生、母の友人と母の体を拭き、化粧をしてあげたり、着替えさせたりしました。
私はその時、何とも言い表し難い気持ちでした。
先生、母の友人と母を綺麗にしてあげた後、母の顔を見ました。
涙が止まりませんでした。
私の、この世で一番大事な母が、旅立ってしまった。
その後、沢山の思い出を浮かべながら母の隣でうとうとしていました。
自分はまだ母に出来ること、したかったことが沢山ありました。
それは皆さんも同じだと思います。

妹はその時もう寝ていたので、
朝起きて母を見ました。ボロボロ泣いて、二人で手を握ってあげました。

母には、大丈夫だよ、と声をかけました。

母の様に強くありたいです。


母には感謝しています。
幾ら感謝してもしきれません。
どうか、母とまた会えますように。

母が安らかに眠れますように。
ありがとう。



父に聞いて書いてもいいということだったので、書きました。
考えがまとまっていないので上手くは書けませんでした。

記事のタイトルは母が先月入院していた時に私に言って、記憶に残っていたので。

読んでくれた方、ありがとうございました。






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